アート業界は、ジェンダー格差や、適切な契約や賃金支給がされないといった、働く人々にとって伝統的に課題の多い業界の1つですが、近年、そうした現状の実態調査(注1)や、改善を求める声をあげる動きが増えつつあります。リクルートは長年にわたり、ギャラリーやアートセンターを運営し、展示会やイベントの開催を通して、アーティストやアートワーカーが全力で挑戦できる場と機会の創出や、長期的に安心して活動できる労働環境づくりに取り組んできました。その一環として、2023年にリクルートホールディングスがオープン。1周年を迎えたアートセンター「BUG」での取り組みについて、財団・アートセンター推進部の花形照美に聞きました。
(注1) 参考文献:Hettie Judah “How Not to Exclude Artist Parents”(2022)、art for all「美術分野における報酬ガイドライン策定のためのアンケート調査結果」(2022)、表現の現場調査団「ジェンダーバランス白書 2022」
アート業界の「働く」にはびこる社会課題
「アート業界で働く人というと、まず作品を創る『アーティスト』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし、アートにかかわる仕事は、アーティストの他にも数多くあり、展覧会ひとつを取っても、キュレーター、照明やインストーラー、宣伝美術など、さまざまなスペシャリストなくしては成り立ちません。また、働き方もさまざまで、フリーランスの方もいれば、美術館やギャラリーの職員・従業員として働いている方もいます。リクルートグループでは、そういった方たちを『アートワーカー』と定義して、アーティストとアートワーカーの両方が直面する業界の課題に向き合っています。
アーティスト、アートワーカーともに、働く環境が不安定であることは、想像に難くないでしょう。実際、フリーランスとして働き、組織に守られていない方も多い。常に仕事があるとは限らず、活動の場がなかなか見つからなかったり、報酬の約束が守られない、未払いが発生するなどのトラブルも頻繁に起 こっています。
一般的な営利企業では、働き方改革、キャリア支援、女性の活躍推進などが当たり前に『やらねばならない』ことになってきていますが、アート業界ではまだ取り組んでいる企業も少なく、課題として表出すらしていないのが現状です。例えば、週末に働くのも当たり前で手当もつかない、ロールモデルが身近におらずキャリアパスが描けない、小さい子どもがいて保育が必要でも何のサポートもないなど、一般社会と比べて働く環境に大きな格差がみられます。」
花形は、この課題にリクルートグループが取り組む意義をこう語ります。「アート業界に関わる仕事を選択したいと思った個人が、生計の不安などの諸条件によって諦めるようなことが無い社会、自分の好奇心に蓋をせずに済む社会になるように、新たな場所づくりをしたいと考えました。なかでも特にフリーランスに関する課題は見過ごされがちで、人材サービスを生業とする会社であるリクルートが、先頭を切って取り組んでいかなければならないと考えました。」
アーティスト・アートワーカーのハブとなるアートセンター「BUG」
情報誌ビジネスの拡大により事業成長を遂げてきたリクルートは、ビジュアル表現を大切にしてきました。1964年東京五輪のポスターやエンブレムを手がけたデザイナーであり、日本グラフィックの先駆者とされる亀倉雄策氏(1915‐1997)に数多くの商品ロゴやサービスデザインを手がけていただいたばかりか、一時期はリクルートの本社ビル内にご本人の個人事務所を移して、会社そのものを支えていただくこともありました。そのようなルーツもあり、社会貢献事業として銀座で30年以上、2つのギャラリーを運営し、クリエイターやアーティストの支援をしてきました。一つはGINZA7ビル(現ヒューリック銀座7丁目ビル)で公募展などを通して若手を支援してきた「ガーディアン・ガーデン」、もう一つはリクルートGINZA8ビルで主に長年業界で活躍しているクリエイターの活動を紹介してきた「クリエイションギャラリーG8」です。しかし、いずれも自社ビル売却をきっかけに、2023年8月に閉鎖されました。
この2つのギャラリーでの活動を振り返り、継承するだけでなく進化する形で、2023年9月、リクルートホールディングスの本社が入る東京駅のグラントウキョウサウスタワーに新たにアートセンターをオープンしました。ギャラリーではなくアートセンターと呼んでいるのは、展覧会事業に限らず、アーティストやアートワーカーの活動をサポートし、アートを通じてさまざまな人が出会い、互いに影響を与え合う場所にしたいという思いからです。スペース名の「BUG」には、アートを通して日常にはない違和感に触れたり、多様な人々の表現や思いが交差して化学反応が起きていって欲しいという思いが込められています。日本を代表するターミナル駅直結という立地を活かし、多様な来館者の方々にとっても新しい視点や人、物事に出会える開かれた場所となることを目指しています。
花形は、アーティストやアートワーカーにとってのBUGについてこうも語ります。「BUGは、収蔵品を持つ美術館や博物館のような場所ではなく、ハブになる場所にしたい。孤独になりやすいフリーランスの方が、仕事でトラブルに直面したときなどにも安心して話したり相談したりできる、そんな精神的な安全を担保できるネットワークとしての役割も果たせればと考えます。アートに携わる一人ひとりの情熱、キャリアを大切にする場所をつくることは、リクルートグループのバリューズ(大切にする価値観)のひとつ『個の尊重(Bet on Passion)』にも重なると思うのです。」

東京駅近くに位置するBUG
そんな「BUG」では、主に3つの活動を行っています。
1.審査過程で成長機会の得られるアワードの開催。制作活動年数10年以下のアーティスト向けのBUG Art Award。出品料は不要で、グランプリ受賞者は受賞から約1年後に「BUG」で個展を開催することができ、個展開催費(作品制作費+設営撤去費)300万円 と別途報酬(アーティストフィー)も支給されます。ジャッジして終わりではなく、審査員との1対1での面談によるフィードバックや、展示・設営に関するレクチャーや相談会も実施しています。
2.展覧会を通じた発信機会と社会的接点の創出。BUGで開催する展覧会も、アーティストにとって作品発表や販売、自身の紹介の機会となる活動です。出展アーティストに新しい表現へのチャレンジやステップアップの場として活用いただくことはもちろん、さまざまな経験やキャリアを重ねるアーティストを展覧会で取り上げ、トークイベント等を通じてアーティストの考えや作品へのこだわりを広く紹介することで、展覧会に訪れる若い世代のアーティストや学生の方々にとっても気づきの得られる機会となるよう意識しています。
3.アートワーカー向けのスキル向上・キャリアアップを支援する活動。例えば、企画者向けオンラインプログラム「CRAWL」では、約3ヶ月かけてメンターと企画書のブラッシュアップを行い、投票で選ばれた企画は、企画者の手によってBUGで実際に開催されます。また、発表の機会の少ない若手批評家とのネットワークをつくり、展覧会のレビュー執筆を依頼、ウェブサイトに掲載したり、各種企画に関わったアートワーカーのクレジットを明記したりするなどして、日頃焦点の当たりにくいアートワーカたちの活動を紹介していくことも行っています。
